ホーフブルク - 王宮 -

この日をどれほど待ち望んでいたでしょう。

期待に膨らんだ気持ちを抑え、王宮を目指して歩いて行くと、ひときわ眩しい
光を放って輝いている、重厚かつ荘厳な建物が見えてきました。





ヨーロッパ全土に絶大な勢力を振るったハプスブルク家の歴代皇帝が執務を行い、
その家族と共に、600年以上長きに渡り居城としてきた宮殿。













世界に冠たる帝国を築いたハプスブルク家。

13世紀~20世紀初頭に至るまで、ウィーンを拠点に広大な領土を拡大し続け、
その期間は645年に及び、他に類を見ない繁栄を極めた。

最盛期には、欧州のほか中南米まで支配した絶大な権力は、
東西を見渡す「 双頭の鷲 」の紋章にも象徴される。

13世紀に建築が開始され、帝国の発展とともに増改築が繰り返されてきたため、
バロック様式やルネサンス様式など、様々な時代の建築様式が組み込まれている。










こちらは、新王宮。

トルコ戦などで活躍したオイゲン公の騎馬像を囲むように建つ。
20世紀初めに建てられ、さらに規模を拡大する計画でしたが、
その完成を待たずして帝国は崩壊した。







ミヒャエル門を通って、いざ王宮へ。






ホーフブルク(王宮)正面に建つバロック様式のミヒャエル門。

上部にある美しい青銅ドームと4体のヘラクレス像に迎えられて。。












かつて、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇妃エリザベート、歴代の皇帝一家が
暮らしてきたこの王宮は、こうして毎日のように訪れる人々にその一部を公開し、
ヨーロッパの頂点に君臨した大帝国の栄華を今に物語っている。






























あんなに憧れ続けた場所に、今ようやく来ることができて、同じ場所に立っていると
思うと、うれしい気持ちと同時に、なんだかとても不思議な気持ちになった。。












グッドタイミングで馬車が止まったので、急いで写真を撮りました。

白馬の上品な白いフィアカーも、御者の男性も、まさしく王宮にふさわしい装いで、
まるで絵のような、とても素敵なワンシーンが撮れました。。☆















 











可愛らしいエンジェルたちのレリーフに釘付け♪









繁栄の名残は、今も息づいている。

































旧王宮(アマリエ宮と帝国官房宮)では、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇妃エリザベートの
皇帝夫妻が暮らした私室、「皇帝の部屋」と、宮廷で使用された食卓調度品を
展示する「宮廷銀器コレクション」、エリザベートの生涯をたどる「シシィ・ミュージアム」が
一般公開されており、豪華絢爛たる宮廷生活を見ることができる。











旧王宮の中庭に建つ、フランツ1世像。












残念ながら、王宮内のこれらの部屋は「写真撮影禁止」となっているため、
豪華絢爛なすばらしいお部屋の数々を紹介することはできないのですが、
これを見て下さっている方々は、きっと既に書籍やTVの特集などである程度知っている、
もしくは実際に行かれていると思うので、(王宮関連のサイトでも見れますし。)
 各部屋を思い浮かべながら、読んでいただけたらと思います。



(* エリザベートのポストカードは、王宮内ショップで購入したもの。)











まずは、「宮廷銀器コレクション」の部屋へ。

陶磁器のコレクションは、どれも気品漂う華やかな美しい絵付けのものばかりで
素晴らしく、当時好まれたシノワズリなど東洋趣味のデザインのものも飾られていました。


様々な植物が描かれているシリーズがとても素敵で、
特に私は気に入りました。



そして、銀器コレクションの部屋へ。

銀器だけでなく、煌びやかに輝く金器の見事なコレクションは圧巻でした。

カトラリーや大皿など銀食器から大きな燭台など、これほど一式揃って
見たことがなかったので、とにかく感動のため息でした。。

すべてピカピカに磨かれ、きちんと管理され、高貴な輝きを放っていました。



さあ、いよいよ皇帝夫妻の私室へ。


ここ来ていちばん見たかった部屋は、やはり「皇妃の化粧室兼体操室」と、「皇帝の執務室」です。



本などで見ていたとおり、まさしくその部屋はありました。


「皇帝の執務室」には、デスクのところと壁に、皇妃エリザベートの
あの有名な2枚の肖像画が掲げられていました。


当時は公の場に出る女性は、髪を結うしきたりだったため、髪をすべて下ろした
エリザベートの肖像画は、皇帝だけが見ることができたのだそう。

忙しい公務で会えない時など(皇妃はほとんど旅先であったので)、
この肖像画を見て、その想いを募らせていたのかな。。と思うと、
胸がキュンと切なくなりました。。






皇妃となってからのエリザベートの人生は、苦しみ、悲しみの
絶えないものだったかもしれないけれど、でもひとつだけ確かなものは、
「天使のようなシシィ。。」と呼んで愛した皇帝である夫から、これほどまでに
愛されていたということ、それは、なにもかも息のつまるような宮廷生活で、
少なくとも彼女にとって、心の支え、救いになっていたのでは。。
そうであったらいいな。。そんなふうに思いました。





そして、「皇妃の化粧室兼体操室」。

こちらもここに来たら、必見ですね!


エリザベートが体型維持のために使った運動器具のほか、愛用した
化粧台などが置かれており、シシィが最も長い時間を過ごした部屋だそう。


あの美貌と驚異の細いウエストをキープするのに、ダイエットから美容まで、
すさまじいほどの美を追求する努力、精神には、もう言葉が出ないですね。







バイエルンの名門貴族の家に生まれ、類いまれな美貌の持ち主であったエリザベート。


床まで届く長い髪の手入れに何時間も費やし、食事の際は自ら決めたものしか
口にしない。器械体操や長時間の散策を日課とし、過度な運動とダイエットを断行。


4人の子供を出産した後も、身長173㎝ 体重48㎏、
ウエスト50㎝、驚異的な体型を維持していた。



この部屋で日々体操したり、美容に打ち込むことで、
王宮での息苦しさや孤独を、紛らわせていたのかもしれません。


実際に、そうした日々をエリザベートが過ごした部屋を見ることができて、うれしい気持ちと
そんな皇妃の胸の内を思うと、胸の奥が苦しくなるような複雑な気持ちになりました。。



ほかにも、豪華な「皇帝一家のディナールーム」や、当初は夫妻共同の寝室であったが後に、
エリザベート専用になった「エリザベート皇后の居間兼寝室」には、陶器のストーブがありました。


そして、エリザベートの要望で造られた王宮内で最初の浴室となった
バスタブ付きのシシィの「浴室とベルグルの部屋」など、非常に興味深いものでした。







それから、もうひとつ楽しみにしていた、「シシィ・ミュージアム」の
シシィのドレス(レプリカ)が展示されている部屋。






「シシィ・ミュージアム」(シシィ博物館)は、皇妃エリザベートの少女時代、
宮廷生活、逃避、暗殺、など、部屋ごとにテーマを分けて展示されていて、
エリザベートのその生涯をたどるように見て行きました。



いよいよ、見たかったドレスの部屋へ。


ハンガリー女王戴冠式で着用したドレスと、婚礼前夜に着用した衣装の
2着のドレスのレプリカが、忠実に再現され展示されていました。





ハンガリー女王のドレスを着た皇妃エリザベート。



あの驚異のウエストの細さは、本当でした!
美しさを磨くことを怠らなかったエリザベートの努力の賜物ですね。

これらのドレスを(レプリカだとしても)、本当に着ていたのだと思うと、
胸がいっぱいになりました。。


実際に目にすることができたら、どれほどお美しかったでしょう。。

そのほか愛用の日傘や扇子、婚約通知や手紙のようなものから
デスマスクなど、そういった貴重なものまで見ることができました。





~ 逃避の旅路の果てに ~


とりわけ印象的だったのが、エリザベートが宮廷生活の大半を旅に費やした、
エリザベート専用の列車を再現した部屋でした。


たしかに、皇妃専用にふさわしく整えられてはいましたが、
そこには、皇妃の、いえ、一人の女性としての
孤独と哀しみがあるように思えました。。




皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に嫁いだのは、彼女がまだ16歳の時でした。
豊かな自然に囲まれ、自由にのびのびと育ったエリザベートは、厳格な躾、
執拗な干渉、窮屈な宮廷での暮らしから逃れ、やがて旅に救いを求めるように、
放浪の旅は、長年にわたって続きました。



傍から見たら、それは贅沢な悩みに過ぎないと言われてしまうかも
しれない。。けれど、本人にとっては、きっと、とても辛かったはず。。







少女時代を自然の中で自由に駆け回って過ごした人間が、
いきなり、かごの中の鳥のようになって生きなければならないとされたら、
どれほど息のつまる思いだったことでしょう。



もちろん、毎日が苦しみではなく、皇妃としての歓び、充実もあったことでしょう。
王宮の息苦しさからただ逃れたいだけではなくて、個として、ひとりの女性 エリザベート
として、シシィと呼ばれていたあの日に戻りたくて、心の旅を続けていたのかもしれない。。

私には、そんなふうにも思えるのです。


その旅先は、多くの国民からも愛され、自身も深い愛着を寄せていたハンガリーをはじめ、
イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ギリシャ、オランダ、ルーマニア、スペインなど、今ほど
旅が容易でなかった時代に、当時としては、非常に多くの国々を旅してまわりました。



転地療養も兼ねて、様々な地を巡り、体調の回復やリフレッシュをし、
それなりに充実した日々を送っていたのかもしれないけれど、
本当のところは、少しも満たされずに何かを求め続けていたのかもしれない。。


しかし、共に分かち合えたバイエルン国王・ルートヴィッヒ2世の謎の死、
最愛の息子、皇太子ルドルフの情死、そして深い友情で結ばれていた
ハンガリーのアンドラーシ伯爵までもが亡くなり、次々と愛する者たちを失って、
まるで何かに駆り立てられるかのように、ますます放浪の旅は加速していきました。



エリザベートの胸が張り裂けるほどの悲しみ、苦しみが、
ずっと大切だった人を亡くし、そこから立ち直れないまま、
この旅に出た私の心に、痛いほど強く響きました。



そして、エリザベートの放浪の旅は、生涯まで続き、その最期の旅先となった
スイス・レマン湖畔で悲劇に見舞われ、61歳でその波瀾の生涯の幕を閉じたのでした。












エリザベートがその生涯に渡り旅を続け、数多くの地を巡った果てに、
本当にたどり着きたかった場所、それは、求めても求めても、
2度と取り戻すことのできない、あの懐かしい遠い日々。。


家族みんなで一緒にいた「シシィ 」と呼ばれていた、
おてんば娘だったあの日に、帰り着きたかったのではないかと。。

私には、そんなふうにも感じました。。




王宮を一通り見学し、ここが憧れのエリザベートがいた場所だと思うと、
胸がいっぱいでしたが、やはりどうしても、私も含めて世界中から訪れた大勢の
人たちが、ひっきりなしに行き交うその中で、シシィが実際に暮らしていた場所だと
実感するのは、想像力がありすぎる私でさえ、なかなか難しいことでした。


でもたしかに彼女はオーストリア皇妃として、そして一人の女性として、
ここに居たことは真実。。







ひとりの女性として、子を持つ母親として、抱いていた夢や幸せ、
そして、一国の皇妃としてのしかかった多くの哀しみ、苦しみ。。


悲劇的な最期を迎えたことは、とても悲しいことでしたが、
ようやく、皇妃に安らぎと自由が訪れたのかな。。それとも。。


様々な思いが心の中で交差しながら、時の流れをくぐり抜けるように、
王宮を後にしました。

















外に出て、フーっと深呼吸をすると心が軽くなった。
そして、青空にまぶしいほど輝く王宮を見上げた。


とても清々しい気持ちになっていくと同時に、ハッとひとつの思いがよぎった。。

王宮内よりも、むしろ、このウィーンの街の中に、
エリザベート - シシィ -を感じることができるような気がしたのです。


きっと閉めきった王宮の窓を開け放って、堅苦しい世界から自由になりたいと、
ある時はため息となって、ある時は故郷バイエルンの森の中を馬に乗って、
爽快に駆け抜けている自分の姿に重ねて。。


その想いは、今はもう彼女を苦しめるものなど何もなくなった
このウィーンの街の空気に溶け込んで、いたずらに微笑みながら
駆け巡っているような、そんな気がするのです。。