--  シェーンブルン宮殿 --



 シェーンブルン宮殿と聞くと、思い浮かべるのは皇妃エリザベートというよりは、
ハプスブルク帝国の女帝マリアテレジア。






「マリアテレジア・イエロー」と呼ばれる、この独特なマスタードカラーの外観が象徴の
壮麗なこの建物は、ハプスブルク家の夏の離宮でした。

本などでは目にしていたものの、「マリアテレジア・イエロー」の壮大な宮殿を
目の前にして、あらためてその存在感をありありと感じました。





午後になると混雑すると思って、かなり早く出てきたのだけど、すでに大勢の人出。
誰もいない宮殿を撮るには、やっぱり難しいですね。。














シェーンブルンは、「美しい泉」という意味。















輝かしいハプスブルク家の長きに渡る栄光の歴史を築き、娘たちを次々と
政略結婚させ、その領土をどんどん拡大し、ヨーロッパ随一の大帝国へと押し上げた。
それはひとえに、女帝マリアテレジアの巧みな戦略、その手腕による偉大なる賜物と言えるでしょう。




「フランスのヴェルサイユ宮殿を凌駕する宮殿を。」とのレオポルト1世の命により、1696年に
建設開始、設計は、バロック建築の巨匠フィッシャー・フォン・エルラッハが手掛けた。
その後、戦争や財政難などにより規模を縮小するも、マリアテレジアの時代に大改築が行われ、
1749年にロココ様式を取り入れた壮大な宮殿が完成した。


敷地内には幾何学的なデザインの緑豊かな庭園をはじめ、動物園、大温室、
グロリエッテ、ネプチューンの噴水などが点在し、1996年、宮殿と共に、
ユネスコ世界文化遺産に登録された。










「シェーンブルン宮殿」の外観の左右には、優雅にカーブを描く階段がしつらえてあるのですが、
(この写真にもかすかに遠くに写っていますが。。)

たしか写真を撮ったはずと探してみたら、そのすべての写真にポーズをとった私たちが写っていて、
想い出してみたら、滞在2日目あたりからホームページ用の写真のことはすっかり忘れて、
美しい情景にテンション上がりまくりで、ほぼプライベートショットばかりになってしまいました。。(笑)

階段のところで人がいなくなると、今だ!と言って、急いでポーズをとり、
何枚もシャッターをきる彼。。(汗)


彼がかろうじて、「グロリエッテ」や「パルメンハウス」などの写真を撮っておいて
くれたからいいものの、私は動画ばかり撮っていました。。(反省)
























宮殿内には1441室の部屋があり、一般公開されているのは40室。
女帝マリアテレジアや皇妃エリザベート、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が暮らした部屋をはじめ、6歳の
モーツァルトが御前演奏を披露した部屋など、見逃せない多彩に趣向を凝らした部屋が多数ある。



残念ながら写真撮影は禁止とされているので、その贅を凝らした素晴らしいお部屋の数々の
写真は掲載できませんが、エリザベート皇妃のサロン、化粧室など、ロココ様式の
見事な内部装飾が美しい部屋ばかりで、とても素敵でした。


個人的に印象に残った部屋は、「漆の間」。

マリアテレジアが描かせた夫君フランツ・シュテファンの肖像画があり、最愛の夫の死を悼んだ
マリアテレジアが、壁一面に黒漆のプレートを配して改装した。

夫の死後、生涯を喪服で過ごした在りし日のマリアテレジアの姿が浮かぶようでした。




「百万の間」も、とても見ごたえがありました。

こちらもマリアテレジアが夫の死後改装させた部屋で、壁面に板張りの高価な紫壇が
使用され、インド、ペルシアの細密画の壁面装飾もたいへん素晴らしかった。


楕円形の「中国の小部屋」は、マリアテレジアが愛好した中国の美術品で
飾られた部屋で、この時代アジア、とりわけ中国趣味というものがどれだけ
影響を与えていたかを目の当たりにしました。





そして、最大の見どころである「大ギャラリー」は、長さ40m、幅10mもあり、
皇帝主催の舞踏会やレセプション、公式ディナーなどに使用された。

さまざまな歴史の舞台となった大広間は圧巻で、
天井のフレスコ画も、息を吞むほどの美しさでした。

















「グロリエッテ」

1757年戦勝を祝って、丘の上に柱列回廊が美しい記念碑が建てられた。















とっても美しい眺め..。

ここでも動画を撮りまくった私です。。


















「グロリエッテ」の壮麗な建物の前で、何枚も写真を撮ってもらいました。

そのうちのお気に入りの一枚は、額に入れて寝室のベッドサイドテーブルの上に飾ってあります☆





この時は薄曇りでしたが、ここあとウィーンの街に戻る頃には、晴れた夏空が広がりました。















本当は時間があったら、ゆっくり歩いてグロリエッテまで行きたかったのだけど、今日も慌ただしく
予定を入れてしまったので、このシェーンブルナー・パノラマバーンという、ミニトレインに乗って来ました。


私たちがグロリエッテの前でおもいきりポーズをつけて写真を撮っていたら、
ミニトレインの車掌さんが、「もうすぐ出発しちゃうけど、乗っていく?」と聞きに来て、
ハって気づいたら、急げ!急げ!みたいなジェスチャーをして、笑わせてくれました。
ちょっと恥ずかしかったけれど、それもいい想い出です♪

















「パルメンハウス」

1882年に建てられた、ユーゲントシュティール建築の総ガラス張りの温室。















本当はもっとゆっくり庭園を歩いて、ネプチューンの泉などHP用の写真も撮ったり、
もう少し長くいたかったのですが、この後、リンク内に戻ってお目当てのお店でランチをして、
お買い物も私のBIOコスメ探しなどショップもたくさん巡りたかったので、
少々、急ぎ足になってしまったのが残念でした。

でも、また次回来る理由ができました。
その時は、まる一日シェーンブルン宮殿で過ごしたいな。















ずっと憧れ続けてきた場所に立ち、ウィーンが誇る絢爛豪華なハプスブルク帝国の
歴史絵巻を紐解くように、実際にこの目にして、その華やかな世界たるや、
想像をはるかに超えていた。言葉で言い尽くせないほど、やっぱり素晴らしかった。

こんな素敵な所で一日でも、いや3日、いや1週間でも過ごすことができたら、
どれほどうれしいことか。。。それでも、いずれにしても、一般人の私たちにはこんな
格調高い豪華すぎる所には、短期間が限度。


どれだけ煌びやかな部屋や贅を尽くされた調度品に囲まれ、美しいドレスに宝石を
身にまとっても、皇妃エリザベートも幸せではなかったのかもしれない。。


一国の王妃、プリンセスという存在が、私の中で現実味を帯びない羨望のきらめきの
夢物語だった今の今まで、そのヴェールの奥の真実の姿は、まだ私には見えていなかった。

それは若くして皇室に嫁いだエリザベートにとってもまた、同じことだったのかもしれない..。


隣国との戦争や革命の勃発、政治的な陰謀、魂のしのぎ合い、そうした厳しい状況が
身近なものとしてあった時代、果たして誰もが憧れるプリンセスとなって、彼女は幸せだったのだろうか。。


贅を尽くされた部屋、煌びやかな宝石、美しいドレスに身を包んだその外側の薄い
ヴェールを取り、中を開けてみると、現実は一時も油断を許さない緊張下にあった時代、
その時代の美しい華やかな一部分だけを見て、私たちは古きよき時代に想いを馳せ、
麗しい輝きに包まれた光景を想像してしまいますが、その奥に隠されたほんとうの真実は
見ることができない。さまざまな本や映像化された作品で知ることはできても、その時代を実際に
この目で見ることはできないから、結局、各々心で受け止め、想像することしかできない。



皇妃エリザベートもまた、皆が思っているほど心は幸せに満たされてはいなかった。

最愛の息子、母、姉、バイエルンのルートヴィヒ2世、ハンガリーのアンドラーシ伯爵、
愛する者を次々と失い、深い哀しみを抱えて、失意の中、その生涯の大半を旅し続けたエリザベート。


彼女が王宮にいることは稀になってゆき、放浪の旅はますます加速していくことになる。

この現実の世界から逃れたい、というその一心で..。

それはまるで、彼女自身がこの世から去るのを望んでいるかのようにも思えて。。
そういう感さえ否めない。



しかし心身ともに疲れ果て、今にも倒れてしまいそうな身体では、ベッドの中から出ることも、
そこから動く気力さえもなくなってしまうのが通常なのに、寝入るどころか、彼女はさらに旅を
加速させてゆく。どんどん行動的になっていく彼女の別の側面、私個人の想像に過ぎませんが、
この世から逃れたいという心境から考えると、矛盾しているともいえるような、
でもある意味共感できるような、不思議な感じがします。


もちろん、数日はベッドの中で悲しみに暮れていたことでしょうし、それに四六時中、女官たちの
目がある王宮の中では、いつまでも寝入ってなどいられないことも彼女は知っていたでしょうが。。


次々と哀しみや苦悩が襲いかかるこうした状況下でありながら、その間の現実逃避の旅が
あったとしても、エリザベートの言動から見てみると、また別の側面を感じ取れるような気がしました。

こういう言葉は適切ではないかもしれませんが、一見、弱い精神力に見えながらも、
その奥底に秘めた、まさに彼女の強さを感じる。

その強さは、「生」への生きる強さというよりは、自分らしさをどこまでもとことん追い求める、
貫く強さと言ったほうが、ふさわしいのかもしれない..。


いきなり若くして一国の皇妃に迎えられ、自分よりはるかに年上の女官長ら姑の息のかかった
人たちに囲まれ、その圧に屈し、希望に満ちあふれた若き翼は、普通ならば、すぐさま
へし折られてしまうところでしたが、彼女はそうではなかった。

もちろん、彼女のその哀しみ、苦悩は生涯つきまとったけれど。


厳しい王室への彼女なりの抵抗ともいうべき、王宮にはほとんどおらず、さすらいの旅に
出ているというかたちではあったけれど、その自分流の生き方を生涯貫き通しました。




それにしても、一国の皇妃という重要な立場でありながら、王宮どころか、ウィーンにさえ
ほとんどおらず、そのウィーンはさすらいの旅の通過点にすぎず、生涯に渡って各地を旅し、
自分の意志を頑なまでに貫き通したその生き方は、当然、前代未聞であり、前例から逸脱して
破天荒であり、その一方で、潔くて気持ちが良いほどあっぱれという感さえある。


と同時に、そうしたところが、恐れ多くも親しみを感じるというか、人間味を感じる。
皇妃という仮面を取れば、エリザベートも私たちと同じ人間なのだと。


おそらく王宮をほとんど留守にして、宮廷生活の大半を旅に費やしたシシィのような、
そのような生き方をしたプリンセスは、あとにも先にもいないのではないでしょうか..。


通常であれば、そのような旅は慎むべきと言われたら、控えるか、
この先も止めてしまうところ、彼女は止めるどころか、ますます旅に没頭し、
悲劇的な終幕であろうと、とうとう最期までその生き方を貫いた。



そういうところが、エリザベートの凄さであり、公務をおろそかにしているとか、他人から見ればただの
身勝手なわがままの一言に尽きるけれど、どう思われどう言われようと、他人のことはどうであれ、
別の見方をすれば、自分の心に忠実に自分の人生を生きようとする精神、どちらが正しいか
なんてわからない。でもどんな地位に置かれようと、自分の人生は誰のものでもなく、
自分自身のもの。それだけは間違いない。


ある意味、奔放であるかもしれないけれど、宮廷で暮らした他の女性たちにはない、
自然の中でのびのびと少女時代を過ごした彼女らしい、エリザベートの一人間としての
強さを感じ、また多くの人々を惹きつける魅力なのかもしれない。


世界中の人々を魅了した美貌もさることながら、今もなお多くの人たちにとって、
「特別な存在」、「麗しの皇妃エリザベート」と称賛され続ける所以なのだと思いました。










エリザベートの姿を追うことで、さまざまなことが見えてきたけれど、やはりそれは、外側の
薄紙を剝がして、見開きの綺麗に装飾されたほんの数ページをめくって垣間見たに過ぎない。


まだ奥深いところに眠る、芯の部分には触れていない。
触れてはならないのかもしれない。


こうして彼女にゆかりある場所を巡ってみても、やっぱり今も私の中ではプリンセス
という存在は、現実味を帯びない手の届かない世界の遠い存在に変わりない。


でも、ひとつだけ分かったこと、それはけしてきらきらした夢物語ではない、
皇妃という特別な位のある存在ではなく、苦悩や様々な感情に触れ、生身の人間として、
以前よりもその心を、ぐっと身近に感じることができた。そんな気がしています。

「皇妃も、私たちと同じ意思を持ったひとりの人間なのだ」と。




きっと、シシィも心のどこかで気づいていたはず、
誰も彼女の心の自由までは、奪えはしないことを..。